探偵作家・雑誌・団体・賞名辞典-す-


推理(すいり)

1969年(昭44)9月創刊。双葉社発行。「推理ストーリー」の改題したもので、1972年(昭47)12月増刊号で、「小説推理」と改称。末期の1972年(昭47)には高木彬光佐野洋責任編集の増刊を刊行した。


推理界(すいりかい)

1967年(昭42)7月創刊。浪速書房発行。
責任編集者は中島河太郎が務めたが(編集名義人は岩波信三)、1968年(昭43)10月で退いた。編集人は荒木清三、井口泰子が務める。
1970年(昭45)5月から「月刊推理界」と改名したが、7月増刊号で廃刊。通計38冊。


推理ストーリー

1961年(昭36)12月創刊。双葉社発行。
1969年(昭44)8月で「推理」と改題。さらにそののち「小説推理」と改題。


スカーレット,ロジャー(Roger_Scarlet)

1902年(明35)にフィラデルフィアで生まれたイブリン・ペイジと、1903年(明36)に生まれたドロシー・ブレアの女性二人による共同筆名。没年は不詳。アメリカ作家だが、アメリカでは忘れられた作家だった。日本では江戸川乱歩井上良夫が激賞している。 1930年(昭5)、「密室二重殺人事件」発表。
1931年(昭6)に発表した「白魔」が、1933年(昭8)に森下雨村によって「新青年」に訳された。
1932年(昭7)に発表した「エンジェル家の殺人」を江戸川乱歩は黄金時代ベストテンの次点に押し、1951年(昭26)には「三角館の恐怖」として自ら翻案した。本作は横溝正史の「本陣殺人事件」にも影響を与えている。


鈴木珠(すずき・たま)

1886年(明19)生まれ。黒岩涙香の義理のおじ、鈴木亀吉の娘。
黒岩涙香の身近で育ち、晩年には身の回りの世話をした。

別冊幻影城掲載誌:10/


錫薊二(すず・けいじ)

経歴不詳。
1950年(昭25)、「冗談について」が「宝石」百万円懸賞のB級中編部門の最終候補に残り、「別冊宝石」に掲載、三等に入選した。

幻影城掲載誌:48


鈴木勉(すずき・つとむ)

1911年(明44)生まれ。鈴木珠の次男。元芸術院事務局長。視聴覚教育の権威。

別冊幻影城掲載誌:10/


スタージョン,シオドア(Theodore_Sturgeon)

本名エドワード・ハミルトン・ウォルドー。1918年(大7)、アメリカのニューヨーク生まれ。
1940年(昭15)、幻想的なSF「それ」を発表。
1953年(昭28)に発表した「人間以上」で国際ファンタジー大賞受賞。
1963年(昭38)にクイーンのゴーストライターとして「盤面の敵」を発表。
1985年(昭60)、死去。


スティーヴンスン,ロバート・ルイス(Robert_Louis_Stevenson)

1850年(嘉永3)、イギリスのエジンバラ生まれ。
1882年(明15)に発表した「新アラビヤ夜話」が「サンデー・タイムス」のミステリベスト99に選定される。
1883年(明16)、冒険小説「宝島」を発表。
1886年(明19)、サイコスリラー「ジキル博士とハイド氏」を発表。
1894年(明27)、死去。


ステーマン,スタニスラス(Stanislas-andre_Steeman)

1908年(明41)、ベルギーのリエージュ生まれ。16歳のころからパリの大衆雑誌に中短編を発表する。
1928年(昭3)、「ラ・ナシオン」で同僚記者だったサンテールとの合作「Le mystere du zoo d'anvers」を発表し、1929年(昭4)から独り立ちする。
1931年(昭6)、「殺人環」(六死人)にて冒険小説大賞を受賞。1935年(昭10)に川井蕃によって訳される。
1970年(昭45)、死去。

幻影城掲載誌:12/16/


ストランドマガジン(Strand_Magazine)

1891年(明24)1月創刊のイギリスの雑誌。大衆週刊誌「チット・ピッツ」で得た利益を元にジョージ・ニュウンズ卿が、編集者のH・グリーンホウ・スミスの意見で創刊した。
1891年(明24)にドイルのシャーロック・ホームズものの短編「ボヘミアの醜聞」を掲載。スミスはドイルを「ポー以来、最高の短編小説作家」と呼んだ。


スピレイン,ミッキー(Mickey_Spillane)

1918年(大7)、アメリカのニューヨーク生まれ。本名フランク・モリスン・スピレイン。
17歳頃から小説を書きはじめ、カンザス州立大学の学費は稿料でまかなうようになった。卒業後は、友人たちと「キャプテン・マーベル」、「キャプテン・アメリカ」などのコミックブックを製作。マイク・ハマーの原型である私立探偵マイク・デインジャーを創造した。
1947年(昭22)、家屋建設費捻出のため、マイク・ハマーの第一作である「裁くのは俺だ」を刊行し、たちまちベストセラーとなった。続いて発表した長編とともに出版界の売れ行き記録を更新した。
しかし、1961年(昭36)に刊行された「縄張りをわたすな」が処女長編だという。
1950年(昭25)、「俺の拳銃は素早い」を発表。
1951年(昭26)、「大いなる殺人」を発表。
1952年(昭27)、江戸川乱歩が日本に紹介する。
1953年(昭28)から1961年(昭36)までは休筆し、「エホヴァの証人」の宗教活動に従事。
1964年(昭39)、「蛇」を発表。
1983年(昭58)、アメリカ私立探偵作家クラブ巨匠賞(ジ・アイ)を受賞。
1989年(平1)に発表した「殺す男」が、1990年(平2)にアメリカ私立探偵作家クラブ最優秀短篇賞を受賞。また、1989年(平1)に発表した長編版の「殺す男」が1990年(平2)にアメリカ私立探偵作家クラブ最優秀長篇賞の候補作となる。
1995年(平7)、アメリカ探偵作家クラブ巨匠賞を受賞。
簡潔な文体で、サディズムとエロティズムが横溢する通俗ハードボイルドで、人気を博した。


スレッサー,ヘンリー(Henry_Sleser)

1927年(昭2)、アメリカのニューヨーク、ブルックリン生まれ。別名O・H・レスリー、ジェイ・ストリート、ジョン・マレイ、ジェフ・ヘラー。
1955年(昭30)、「人を呪はば」が「エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン」の処女作賞を受賞。
1956年(昭31)からは「ヒッチコック・マガジン」を主な舞台として活躍し、一度に三編の作品が掲載されたりするなどして、無数のペンネームを持つ。ショートショートを得意とし、500篇を超える作品のうち、2/5がSF。
1958年(昭33)に刊行した「グレイ・フラノの屍衣」で、1960年(昭35)にアメリカ探偵作家クラブ最優秀処女長編賞を受賞。
1960年(昭35)、「うまい犯罪、しゃれた殺人」を刊行。
1962年(昭37)、「ママに捧げる犯罪」を発表。
映画、ラジオ、テレビの台本も多数手がけ、1974年(昭49)にはエミー賞受賞。
2002年(平14)、死去。


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